やっとお雛様を出しました
今週のお題「雛祭り」
今日やっとお雛様を出しました。
ほら、昨日は日取りがあんまりだったのでね。
この辺にそんな風習はかけらもありませんが、お片付けは旧暦でやりますのでのんびり飾っておきます。
うちのお雛様は、お内裏様とお雛様の一段だけのもの。
それでもなんだか、父が初孫のために奮発してくれたようで、いいもののような感じがします。
まだまだ買って数年ですから、うるしもつやつや。
傷をつけるのが怖いです。
芸術品を庶民が管理できるのか
お雛様は人形です。
人の形を模したもので、厄除的な意味はまあ置いておくとして、いわば子どものおもちゃです。
お姫様やお嬢様の持ち物を豪華にするために、技術の粋を尽くして職人さんが技を磨いて美しく発展してきたのだろうと思います。
お姫様やお嬢様はお金もあるだろうし、お抱えの職人さんもいるだろうから管理もそれなりの人がやるんだろうけど、わたしはただの農民の子どもなんだなあ。
美術品というほどのものではないでしょうが、上のやつも「高名な職人さんが作ったんだよ」という名札が入っています。
孫に良いものを与えたいと思ったじいじが、吟味の末に選んでくれたものです。
しかし、美しいとは思うものの、正直わたしの管理下でこのお人形を悪くしてしまったらと思うと、結構なプレッシャーがあります。
そう思うとせっかくのいいものなのにつらい。
お雛様を出すたびに、説明書きをみるたびに、白手袋してつやつやの台を持つたびに、分不相応な感じがしてドキドキがすごいです。
こんなつやつやぴかぴかのものを何十年と維持していけとはなかなかの重圧。
こどもさんも去年まではさほど興味もなさそうでしたが、幼稚園で習ってきたからか、今年はめちゃめちゃ前のめりです。
お菓子食べた手で触ろうとします。
ドキドキ。
子どものおもちゃです。と割り切る
おもちゃというか、お雛様は子どものためのものです。
子どもの健やかな成長を祈って飾るもので、その可愛らしさや美しさが子どもの心に触れて、何か思い出を残すことが大事なのかな、と思います。
それでもし、ちゃんと大人になるまでお人形が残っていれば、それをまたその子どもに渡すこともできる。まあ自分で持ってても全然いいんですけど。
それが思い出だし、だから傷ひとつつけずに守らなくては、とは思わなくてもいいのかもしれない。
わたしが全部やらなくてはと思って、傷がついたら、何かなくしたりしたら、それですごく気に病むみたいなことは、しないでもいいのかもしれない。
と思わないとやってられないよー。
こわいよー。
まあ多少傷がついたりしても、激甘のじいじは「それも経験」って許してくれると思うけど。
昔はめちゃくちゃ怖いお父さんだったのになあ。
(その影響が、この「失敗をおそれるわたし」に出てると思うんだよなあ。)
何がどうなってこうなったのかなあ。
昔のわたしをゆるゆる育ててほしかったなあ。
まあいいけど。
書いてみて、そういうことだったのかと改めて感じることがありますね。
背伸びしすぎず、卑屈になりすぎず、こどもさんには自分の好きなものを手にできるように、大きくなっていってもらえればなあと思います。
ついぎゅうぎゅう言ってしまうけれども、わたしも気をつけなくてはね。